1989-2000
2001-2010
2011-2019
平成元年、現在の一般社団法人 日本生産技能労務協会(技能協)の前身である日本構内請負協議会(日構協)が結成された(会員17社)。
昭和40年代後半に先行的な企業によって開始されて以降、オイルショックによる取引先の減産など経済変動要因もありながら、製造業におけるアウトソーシング化の普及、生産拡大といった社会的な要請に応える形で発展してコンプライアンスに取り組もうとする第一歩。
日構協の結成と同年に日本労働組合総連合会(連合)が結成され、翌年には公共職業安定所がハローワークという愛称になった。
雇用問題を取り巻く環境が大きなうねりを見せるなかでの日構協のスタートである。
平成20年9月のリーマンショックにより、日本経済は大打撃を受け、製造請負・派遣事業も激震に見舞われた。
平成21年10月19日付の日本経済新聞に、協会のCSR宣言が全面広告で掲載された。リーマンショックによる深刻な雇用危機を受け止め、内部で重ねてきた議論の集積をもとに、業界を代表する団体として「世に果たす役割と行動」、さらには「自らの責任」を謳ったものである。
この後、厚生労働省の委託により、製造請負事業者の品質と信頼を保証する制度「製造請負優良適正事業者認定制度」(GJ認定制度)をスタートさせるなどコンプライアンス意識の向上に積極的に取り組んでいく。
平成23年3月11日に起き、死者1万5896人、行方不明者2536人、直接的な被害額16兆円~25兆円という甚大な被害を出した東日本大震災。東北地方に拠点を置く企業にとっては、100年に一度というリーマンショックを乗り越えた後、1000年に一度といわれる大震災に遭遇したことになる。雇用調整助成金支給対象指定に向けて技能協をあげての要請活動が展開され、会員企業もこれに積極的に応え、スタッフの雇用維持につながった。同時に、細川律夫厚生労働大臣(当時)から技能協に対し、雇用の創出・確保への要請が行われ、会員企業は人材サービス会社として、被災地での雇用創出に積極的に協力した。
小泉純一郎内閣(当時)が進める規制緩和の流れのなかで、平成16年3月施行の改正労働者派遣法により「物の製造の業務」が認められることになった。いわゆる「製造派遣の解禁」である。国内に製造ラインと雇用を残すために不可欠だとする経済界の強い要請に応えたもので、仕事を求める人々にとって、新たな就業の機会をスムーズに提供することができるようになった。
これによって業界の果たす役割はさらに大きくなり、平成27年9月に施行された改正労働者派遣法の改正内容を審議する「労働政策審議会労働力需給制度部会」に青木秀登副理事長(当時)がオブザーバーとして参加し現場の実態等について意見を述べた。画期的な出来ごとである。
様々な状況に対応していくなかで関係方面からの技能協に対する評価も徐々に定着する。東日本大震災における行政との協力関係の構築をはじめとして、日本経済団体連合会との意見交換やUAゼンセン、JSGU(人材サービスゼネラルユニオン)、電機連合との協議、さらには業界を横断した団体である「人材サービス産業協議会」への参加など。
特に日本労働組合総連合会(連合)本部との間では平成22年、同28年の2回にわたって「共同宣言」の採択を行っている。技能協は人材育成、労務管理全般についてその水準を高めることを目指して、各界との連携をますます強化していくこととしている。